15周年特別インタビュー vol.15 | ラインアート シャルマン
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「思い描く未来へと、

   一歩一歩昇っていく」

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Vol.15

歌舞伎俳優

「『雲上富士』の絵」

八代目 尾上菊五郎 さん

ここちよく生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年 特別インタビュー企画

15th Anniversary LineArt CHARMANT

かがやきに充ちている人の傍らには、きっと最高の相棒が存在します。

素晴らしい相棒と一体になった時、人はどこまでも輝ける。

ラインアート シャルマンも、人に寄り添い、その人をより輝かせる“相棒”でありたい。

さまざまな分野で活躍するプロフェッショナル15人のお話から

“相棒”との一体感がもたらす、かがやきの秘密を紐解きます。

かがやきに充ちている人、そのひとのそばには、きっと最高のバディ達がいます。最適な相棒と一体になった時、ひとはどこまでも輝ける。ラインアートの想いも、そこにあります。人によりそい、輝きを増したい。

様々な分野で活躍するプロフェッショナル15 人にお話を伺いながら、一体感がもたらす奇跡と、かがやきの秘密を紐解いていきます。

ここちよさと生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年
特別インタビュー企画

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Vol.15

歌舞伎俳優

「『雲上富士』の絵」

八代目 尾上菊五郎 さん

- 歌舞伎に心奪われた幼い日から

江戸時代から続く音羽屋(尾上菊五郎家)に生まれ、2025年、八代目を襲名した菊五郎さん。歌舞伎を意識したのは何歳くらいの頃だったのだろうか。

「記憶に残っている一番古い歌舞伎の思い出は、5歳の時。テレビから流れてきた新橋演舞場の再開場の映像です。父が演じる弁天小僧菊之助が、美しい女形から男が化けていた正体を現わす鮮やかさや大屋根の上での立ち回りを、子供ながらにかっこいいなと思い、色彩も含め、全てに心奪われました」。

その後、尾上丑之助として初舞台。歌舞伎俳優の道を歩み始める。

「小学生の頃から、学校が終わったら稽古に行かないといけない。友達が遊んでいる中、校門で母が待っていて、自分から行くというよりは連れていかれていました」。

歌舞伎に対する気持ちが変わったのは 14歳の時。

「祖父と父とで『三人道成寺』を踊らせていただいた時です。当時もう 70過ぎだったと思いますが、普段優しい祖父が稽古場に入りメガネとオニキスの指輪を外すと、スイッチが入り厳しい師匠の顔になりました。何度も何度も繰り返し稽古してくれましたが、いざ舞台が始まると、道成寺という作品の重さに本当に毎日緊張感とプレッシャーに押し潰されそうになって。もっともっと本腰を入れて歌舞伎に向き合わないと祖父や父の足元にも及ばないということを自覚したのも、歌舞伎の家に生まれたことを改めて認識したのも、この時でした」。

18歳での五代目菊之助襲名にも祖父への悔いがあるという。

「少し前に祖父が、そろそろ襲名したらどうかとチャンスをくれていたのです。それなのに、自信がなかったもので決断できずに先送りにしていたところ、祖父は病で亡くなってしまいました。小さい頃から憧れた念願の弁天小僧菊之助も、踊りたいと思っていた『鏡獅子』も、菊之助として舞台に立つ姿を祖父に見せることができませんでしたし、芝居や踊りの出来そのものも、学生気分で舞台に上がっていた自分が至らなかったのだと、その時もまた打ちひしがれました」。

- 受け継いだ “心”を次代へ伝えていく

歌舞伎に対して前向きになれたのは30歳を過ぎてからだという八代目菊五郎さん。そこに至るには、たくさんの人との出会いがあった。

「蜷川幸雄さんと新作歌舞伎を作らせていただいたり、毎年、父が国立劇場で作る復活狂言に参加したり。(坂東)玉三郎のお兄さんに『二人道成寺』で作品の解釈の仕方や女方について教えていただいたり、文楽の(豊竹)咲大夫お師匠さんとのご縁に恵まれたり。そして、結婚して岳父の(中村)吉右衛門に時代物を深く教えていただいたり。色々な師に導かれて舞台に立たせていただいている今があります」。

2025年5月から始まった襲名披露興行では、ご自身の八代目菊五郎襲名とともに、長男の丑之助さんの六代目菊之助襲名も披露されている。
「父が七代目菊五郎として建在で、七代目と八代目が同じ菊五郎の名前で並び立つのはかつてないことです。そして私が 29年間名乗ってきた菊之助の名跡を長男が11歳で継がせていただきました。今、私は48歳。先ほど、これまでさまざまな方に導かれて現在があるとお話ししましたが、そろそろ先人たちから教えていただいてきた “心”を、倅の菊之助はじめ次の世代に伝えていく時期にきているのかもしれません」。

5月歌舞伎座、大阪松竹座、名古屋の御園座、どの劇場でも襲名披露の演目や口上の前に、富士山を描いた美しい祝幕が観客にお披露目されてきた。

「実は菊之助を襲名した際の祝幕も片岡珠子先生に描いていただいた赤富士の絵なんです。そんなご縁もあり、富士山は大好きな山。今回、日本画家の田渕俊夫先生に祝幕の絵をお願いするときに、失礼かと思いつつ、日本一の山に日本一の芸の高みを目指す気持ちを重ねたいという思いをお伝えしたところ、『雲上富士』と名付けたこの作品を描いてくださいました 。雲の上までつき出たこの絵の富士山のように、歴代の菊五郎が築いて来た芸を仰ぎ見るのでなく、菊之助と親子で、一歩一歩昇っていくように、という期待を込めてくださったのだなと感じ、祝幕がかかっている劇場に入るたびに身が引き締まる思いです」。

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八代目尾上菊五郎さんの“相棒”である『雲上富士』の絵。

「襲名の祝幕のために描いていただきましたが、この下絵は額装して自宅に飾りたいと思っています。これからもずっと、この絵を見るたびに襲名への思いと舞台に立つ緊張感を忘れないようにしたいですね」。

今回着用したメガネはブリオ コレクションXL1805 AG。すっきりとした細身のフォルムが、穏やかな表情を引き立て、シンプルでありながら奥行きを感じさせるモデル。

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- 職人の技が生み出す快適性

舞台に立つ時は一人でも、歌舞伎の公演は日々、実に多くの人に支えられている。
「相棒という意味では、衣装さん、かつら屋さん、床山さん、大道具さん、小道具さん。すべての職人さんが伝承し研鑽を積んだ技が形になって、相棒として役者を支えてくれています。さらに一緒に襲名して一緒に舞台に立つ菊之助も相棒だと思いますし、支えてくれる家族も相棒。そして応援してくださるお客様も、相棒と言っては失礼かもしれないですが、何より大切な大切な「相棒」です」。

心を整えて役に入りやすくしてくれる人、もの、すべてが相棒だと語る八代目菊五郎さん。ラインアート シャルマンのメガネにも、共通するものを感じたという。

「このメガネをかけさせていただいた時に、心が整うというか、呼吸が深くなるような心地よさがあって。それはかつら屋さんや床山さんが私の頭の形に合わせて形を整え結い上げたかつらをつける時や、衣裳さんがしっかりと着付けてくれた時に通じる感覚でした」。

伝統歌舞伎の世界で多くの職人たちが八代目菊五郎さんの舞台を支えているように、ラインアート シャルマンもまた、ある意味職人の域に達した研究者や技術者、技能者の探求から生まれたブランドだ。独自の素材「エクセレンスチタン」によるバネ性と素材を活かす「レーザ微細接合」技術で、かけ心地のよさを追求。さらに20年以上にわたって日本人の頭部形状を研究し、そのデータをもとに設計したサイズとテンプルの独特な曲線が、頭部を包み込むようにやさしくフィットする。

「シャルマンさんがメガネにおける快適性を追求しているお話を伺って納得しました。歌舞伎では伝統を守りつつ時代に合わせて表現を変えていくということを江戸時代から続けてきたわけですが、メガネの世界でも伝統の継承と革新を繰り返され、現代のお客様に合うものを生み出しているのですね。職人さんたちが考え抜いて作られたものと思いが、かけた人の呼吸を整えるような心地よさに繋がるのかと思います」。

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- 思いを繋ぎ、伝統を未来へ

今回の撮影で八代目菊五郎さんがセレクトしたのは、落ち着いたマットゴールドが品格を引き立てるボストンシェイプのメガネ。

「洋服に合わせるなら太めの黒縁も好きですが、今日の着物にはこのゴールドのフレームが一番しっくりきました。これまで視力は悪くなかったので好きでサングラスを集めるくらいでしたが、年齢のせいか最近は小さな字が読みにくくなってきて。歌舞伎の台本は字が大きめなので助かっていますが、レストランのメニューを見る時などに困ることが出てきました。そんな中で色々なメガネを試着できたのは嬉しい機会でした」。


ラインアート シャルマンのメガネを製造している福井県鯖江市は、メガネ産業のまち。その技術が歌舞伎にも役立っているという。
「女方の役で扱うかんざしの鼈甲が入手しにくくなり、鯖江のメガネのセルフレームの素材と技術を活用して作っていただいているそうです。歌舞伎に登場する小道具は、他にも和傘や蓑など、作る職人さんが少なくなり、手に入りにくくなってきたものが少なくありません。ただ、今の時代、情報の速度や繋がるためのツールは発達してきているので、人と人とが上手く結びつけば、これに困っています→鯖江にこんな技術があります、という風に、解決する方法も見つけられるかもしれません。古典芸能、特に歌舞伎は江戸時代から続く総合芸術で、その劇場は人と人、思いを繋ぐ場でもあります。舞台をご覧になって歌舞伎を支える仕事に興味を持ってくださったり、着物を着てみようかな、和傘やかんざしが欲しいなと思っていただければ、それが職人さんへの支援や技術の継承に繋がることもあるかもしれませんね」。

襲名披露公演は2026年へと続き、それ以外の舞台でも大役が決まっている。忙しい日々のなかで考える未来は?

「歌舞伎役者というものは、50歳、60歳でようやく本番といわれる世界。襲名はまだスタートに過ぎません。自分をさらに磨きつつ、古典歌舞伎を大事にしながら、家の芸である『新古演劇十種』の復活に取り組み、また、これからも新作歌舞伎も作っていきたいと思っています」。

八代目尾上菊五郎さんにとって『雲上富士』の絵とは

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八代目 尾上菊五郎さんにとって『雲上富士』の絵が、役に寄り添い、観客に寄り添う思いを新たにする“相棒”であるように、

ラインアート シャルマンはこれからも、世界中の人に寄り添い、その人生を輝かせるパートナーを目指していく。

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Photos:Yoshihito Sasaguchi(SIGNO)

Hair&Make-up:TADASHI KIKUCHI

Kimono Dressing:OTOYUKI ONOE

Realization:Tomoko Shimizui

INFORMATION

●2025年12月25日(木)まで 南座

當る午歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎

尾上菊之助改め 八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め 六代目尾上菊之助襲名披露

松竹創業百三十周年 當る午歳吉例顔見世興行

https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kyoto/play/895

●2026年1月5日(月)~2026年1月27日(火) 新国立劇場中劇場

国立劇場 令和8年初春歌舞伎公演 通し狂言『鏡山旧錦絵』

https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_l/2025/0801/

●2026年2月1日(日)~2026年2月26日(木) 歌舞伎座

猿若祭二月大歌舞伎

https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/963

●2026年6月 博多座

尾上菊之助改め 八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め 六代目尾上菊之助襲名披露

六月博多座大歌舞伎

https://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/play/896

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ショート金髪を持つ女性

PROFILE

1977年生まれ、東京都出身。歌舞伎俳優。屋号は音羽屋。84年2月歌舞伎座『絵本牛若丸』で六代目 丑之助を名乗り初舞台。96年、歌舞伎座『弁天娘男女白浪』の弁天小僧、『春興鏡獅子』の小姓弥生後に獅子の精で五代目 尾上菊之助を襲名。2025年、歌舞伎座『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、『白浪五人男』の弁天小僧で八代目 尾上菊五郎を襲名。歌舞伎での活躍の他、NHK大河ドラマ『西郷どん』、初の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』、ドラマ『下町ロケット2』、『グランメゾン東京』など出演多数。

八代目 尾上菊五郎

Onoe Kikugorō VIII

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 ここちよく生きる。あなたが輝く。

人生。それは素晴らしい舞台。

時に絵のように、時に詩のように、

時に音楽のように。

 

豊かな彩りをもたらすのは

より心地よい日々。

 

15周年を迎えたラインアート シャルマンは、

これからも

いつまでもかけていたくなる心地よさと

一人ひとりを彩る美しさで

あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。

15th Anniversary LineArt CHARMANT

いつまでもかけていたくなる心地よさと、一人ひとりを彩る美しさで

あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。

ラインアート シャルマン 15 周年。

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