top of page
XL_ロゴのコピー 1
CM01_0143.jpg

「この手に、自分に、

    寄り添い続けてくれた」

logotitle_SP_bk.png
logotitle_bk.png

Vol.14

元プロ野球選手・
福岡ソフトバンクホークス
球団統括本部付アドバイザー

「グローブ」

和田毅 さん

ここちよく生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年 特別インタビュー企画

15th Anniversary LineArt CHARMANT

かがやきに充ちている人の傍らには、きっと最高の相棒が存在します。

素晴らしい相棒と一体になった時、人はどこまでも輝ける。

ラインアート シャルマンも、人に寄り添い、その人をより輝かせる“相棒”でありたい。

さまざまな分野で活躍するプロフェッショナル15人のお話から

“相棒”との一体感がもたらす、かがやきの秘密を紐解きます。

かがやきに充ちている人、そのひとのそばには、きっと最高のバディ達がいます。最適な相棒と一体になった時、ひとはどこまでも輝ける。ラインアートの想いも、そこにあります。人によりそい、輝きを増したい。

様々な分野で活躍するプロフェッショナル15 人にお話を伺いながら、一体感がもたらす奇跡と、かがやきの秘密を紐解いていきます。

ここちよさと生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年
特別インタビュー企画

CM01_0218.jpg

Vol.14

元プロ野球選手・
福岡ソフトバンクホークス
球団統括本部付アドバイザー

「グローブ」

和田 毅 さん

- 野球少年が甲子園、そしてプロのマウンドへ。

大学野球経験者だった父の影響で小学1年生から野球を始めた和田毅さん。

「プロになりたいという夢は、小学校の頃からずっと抱いてきました。中学、高校と進むにつれ周りの実力が上がっていって、だんだんレベルの違いを感じるようになりましたが、無理だろうな、と思いながらも好きな野球に関わりたいと思って頑張っていましたね」。

憧れの舞台を夢見ての努力の甲斐あって、浜田高校時代では、エースとして2年生、3年生と夏の甲子園大会に2回出場。3年生夏の大会ではベスト8まで勝ち進んだ。高校卒業後、早稲田大学へ進学。2年生春から先発投手の座をつかむ。4年生の時には、早大としては52年ぶりの春秋リーグ連覇達成に貢献。江川卓氏が保持していた六大学野球通算奪三振記録(443)を塗り替える476奪三振を記録した。

「ちょっとずつ意識が変わり始めたのは大学2年の夏ぐらいからですね。漠然とした夢が、手が届くかもしれない目標になっていきました」。

2002年にドラフト自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(当時)へ入団。

1年目から先発ローテーション投手に定着。14勝をマークして満票で新人王を獲得した。また、その年の日本シリーズで第7戦に先発。プロ野球史上初めて、新人として同シリーズで完投し胴上げ投手になった。以降、5年連続で2桁勝利を達成する。

「目標は全部達成できましたが、プロの重みや厳しさも感じる日々でした。大学の場合は2ヶ月のリーグ戦ですが、プロになると6ヶ月、7ヶ月という長丁場なので疲れが溜まってくると打ち込まれてしまう。プロって大変だなというのは、1年目だけじゃなくて、 2年目、3年目と、やればやるほど実感しました。自分でレベルアップしないと生きていけない世界なんです」。

アテネ五輪、第1回WBC、北京五輪には日本代表として出場。2010年にはホークス7年ぶりのパ・リーグ制覇に貢献。2011年にはNPB左腕史上最速となる通算200試合目での100勝を達成。怪我に悩まされることはありながらも輝かしい活躍は続いていく。

- メジャーリーグを経験して得たものを日本に

「メジャーに行きたいという思いはプロに入る時から抱いていました。2010年にタイトルを取れて、翌年も結果を残すことができました。自分の中でもある程度の手応えを得られたタイミングでちょうどFA権を獲得できたので、挑戦してみようということになりました」。

MLBボルチモア・オリオールズへ移籍するも、1年目開幕直前に左肘の手術を受ける事態に見舞われた。2014年にシカゴ・カブスへ移籍し、同年7月に3年越しとなるメジャー初登板を果たした。

「学生からプロになった時にもその差は感じましたか、メジャーリーグのすごさは、ワンランク上などというものではなかったですね。ツーランクもスリーランクも上のバッターがゴロゴロいます。登板の間隔は短いですし、移動距離は長いですし。でも、メジャーリーグを知って得たものは大きかったです」。

カブスではシーズン4勝の活躍で日米野球のMLB代表に選出、日本のファンの前に凱旋登板。翌2015年オフに日本球界への復帰を決断し、2016年シーズンより再び福岡ソフトバンクホークスに所属。

「日本に帰るか、マイナーから這い上がってもう一度メジャーを目指すかという2択で考えて、年齢的なものもあり、帰国するなら今しかないのかなと思って決めました。ホークスから日本に戻ってくるならホークスに戻ってほしいというお話をずっといただいていたのもありがたかったです」。

ホークス復帰後は自身の選手活動に加えて、メジャーリーグで得たものを球団に、日本のプロ野球界に還元したいという思いでも活動するように。

「当時の工藤監督から僕にその役目をしてほしいと言われましたし、アメリカを、メジャーを目指す後輩は周りにたくさんいましたし。日常的なことでも、トレーニングマシーンやサプリメントなど向こうではこんなのを使ってこういうトレーニング方法でしたよ、とか。あちこちで話をして、時には球団と意見交換をすることもありました」。

和田毅さんの“相棒”であるグローブ。「僕の場合、グローブ自体ははそんなに大きくないですが、ボールが入るポケットの部分は深く作ってもらっています」。

今回着用したメガネはフォルテ コレクションXL1817 KH。光沢感のあるオリーブ色のフロントと、板状にプレス加工されたシルバー色のテンプルの組み合わせが端正なモデル。

- グローブの精度が投球を左右する

ソフトバンクホークス復帰1年目から最多勝・最高勝率のタイトルを獲得。2018年シーズン開幕前の春季キャンプで左肩痛に襲われ、1年半にわたる治療・リハビリを経て、2019年シーズン途中から一軍に復帰。2020年にはホークスの日本シリーズV3を決めた第4戦で先発登板。勝利投手となった。

「怪我をして復帰してからは、自分のパフォーマンスが落ちたらいつでも辞めようという覚悟でマウンドに上がっていました。2024年の5月、6月と、だんだん自分が思うようなボールを投げられなくなってきたな、辞めるのは今年なんだなっていうのがあって、7月ぐらいに引退を決断しました」。

22年にわたるプロ野球人生、もっと前の野球少年時代から和田さんの「相棒」だったのが、グローブだ。

「野手の中には何年も使い込む人もありますが、ピッチャーの僕の場合はずっと使って柔らかくなりすぎたり型が崩れたグローブでは駄目なんです。年に一度は新しいものに交換していましたが、自分にとって最高の相棒だというグローブに出会えるのは運もある気がしますね。メーカーさんが僕の握り具合とか手の癖とか大きさとか、色々な要素を取り入れて作ってくれていました」。

和田さんにとってグローブが究極に手に馴染む相棒であるのと反対に、これまでなかなか最良のものと出会えずにきたのが、メガネだ。

「もともと視力はそう悪くなかったこともあり、あまり真剣に選ばずにきていましたが、年齢とともに運転する時はそろそろかけた方がいいのかと思うようになりました。サングラスもかけていると疲れちゃったり、痛くなってきたり、これ!というものを見つけられてなかったんです」。

CM01_0553.jpg
CM01_0042.jpg
CM01_0454.jpg

- グローブとメガネに共通する職人魂

今回の撮影で和田毅さんがセレクトしたのは、定番人気のウエリントン型フレームのメガネ。

「顔を動かしたりかけ続けていても落ちてこない。偏光レンズを入れてサングラスにしても良さそうです」。

ラインアート シャルマンは、20年以上にわたって日本人の頭部形状を研究。そのデータをもとに設計したサイズとテンプルの独特な曲線が、頭部を包み込むようにやさしくフィットする。さらに独自の素材「エクセレンスチタン」によるバネ性と素材を活かす「レーザ微細接合」技術で、かけ心地のよさを追求している。

「グローブは手形を取って、職人さんと相談しながら本当に自分の手にしっくりくるものを目指しますが、メガネの世界にもフィット感を追求する方たちの努力があるのですね。合わないグローブはキャッチボールでも違和感が出るのですが、合うグローブははめた瞬間にわかります。このメガネもかけた瞬間に、あ、合う!と違いを感じました」。

現在は福岡ソフトバンクホークスで球団統括本部付アドバイザーとして活動する傍ら、野球中継の解説や野球普及のサポート活動にも力を注いでいる。

「球団統括本部付アドバイザーとしては昨年まで選手だったというのが今の自分の強みでもあるので、選手に近い目線でアドバイスしたり、スカウトにも関わっています。そして野球してくれる子供たちが減ってきている中、少しでも野球をやる機会を提供し、楽しさを伝えたいですね。その延長で自分自身も、どんな形になるかわかりませんが柔軟な頭で野球界に貢献していくことができたらと思っています」。

和田毅さんにとってグローブとは

CM01_0299.jpg

和田毅さんにとってのグローブがその手に馴染み、勝利の一球を生む “相棒”であるように、ラインアート シャルマンはこれからも、世界中の人に寄り添い、その人生を輝かせるパートナーを目指していく。

CM01_0319.jpg

Photos:Yoshihito Sasaguchi(SIGNO)

Hair&Make-up: mio(SIGNO)

Sylng:Naoki Sakuyama

Realization:Tomoko Shimizui

INFORMATION

CM01_0218.jpg
ショート金髪を持つ女性

PROFILE

1981年2月21日生まれ。島根県出雲市出身。

小学1年生から野球を始める。1996年、島根県立浜田高校入学。1999年、早稲田大学に進学。早大として52年ぶりの春秋リーグ連覇達成に貢献。2002年、ドラフト自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(当時)へ入団。新人王を獲得。2004年アテネ五輪、2006年第1回WBC、2008年北京五輪に日本代表として出場。2011年オフ、海外FA権を行使しMLBボルチモア・オリオールズへ移籍。2014年、シカゴ・カブスへ移籍。日米野球のMLB代表に選出。2016年シーズンより再び福岡ソフトバンクホークスに所属。2024年、現役引退。2025年、球団統括本部付アドバイザーに就任。

和田 毅

Tsuyoshi Wada

あわせて読む

Life is Art

 ここちよく生きる。あなたが輝く。

人生。それは素晴らしい舞台。

時に絵のように、時に詩のように、

時に音楽のように。

 

豊かな彩りをもたらすのは

より心地よい日々。

 

15周年を迎えたラインアート シャルマンは、

これからも

いつまでもかけていたくなる心地よさと

一人ひとりを彩る美しさで

あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。

15th Anniversary LineArt CHARMANT

いつまでもかけていたくなる心地よさと、一人ひとりを彩る美しさで

あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。

ラインアート シャルマン 15 周年。

bottom of page