
「手に馴染み
職人魂を刺激してくれる」


Vol.13
庭師・俳優
「植木鋏」
村雨辰剛 さん
ここちよく生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年 特別インタビュー企画

かがやきに充ちている人の傍らには、きっと最高の相棒が存在します。
素晴らしい相棒と一体になった時、人はどこまでも輝ける。
ラインアート シャルマンも、人に寄り添い、その人をより輝かせる“相棒”でありたい。
さまざまな分野 で活躍するプロフェッショナル15人のお話から
“相棒”との一体感がもたらす、かがやきの秘密を紐解きます。
かがやきに充ちている人、そのひとのそばには、きっと最高のバディ達がいます。最適な相棒と一体になった時、ひとはどこまでも輝ける。ラインアートの想いも、そこにあります。人によりそい、輝きを増したい。
様々な分野で活躍するプロフェッショナル15 人にお話を伺いながら、一体感がもたらす奇跡と、かがやきの秘密を紐解いていきます。
ここちよさと生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年
特別インタビュー企画

Vol.13
庭師・俳優
「植木鋏」
村雨 辰剛 さん
- スウェーデンの地で憧れた日本へ
幼い頃から外国の文化や言葉に興味があったという村雨辰剛さん。日本を知ったきっかけは中学校の授業だった。
「たまたま世界史の授業で日本が紹介された時に、すごく気になる要素がいっぱいあって。たとえば、武田信玄が上杉謙信に塩を送ったエピソード。戦っている相手を助けるなんて、ヨーロッパではちょっと考えられない発想ですが、そんな武士道というか精神性にどんどん惹かれ、調べれば調べるほど日本のことをもっと知りたいと思うようになったのです」。
独学で日本語を学び、16歳で日本に3カ月間ホームステイ。日本で日本人として暮らしたいという気持ちはさらに高まり、高校卒業後に渡航費を貯めて19歳で再び日本へ。語学講師として働いていた時にスカウトされモデルの仕事も始めた。
「本当は日本の伝統的な職に就きたいと思っていたのですが、仕事を探す方法がわからなくくて。23歳の時にようやく、求人情報誌で造園業の仕事を見つけ、庭師として5年間修行が始まりました」。
伝統的な徒弟制度の中で、まずは掃除や荷物運びから。
「やっぱり学ぶには現場で親方とか師匠について、目で見て、手で触れていくしかないと僕は思えて、ヨーロッパでも徒弟制度が消えていく中で、とても日本らしい貴重な経験をさせてもらっていると、やりがいを感じました」。
- 日本の庭、日本の手仕事と向き合う日々
2017年に庭師の修行を終え、拠点を関東へ移して東京の造園業者に転職。その後、独立して一人親方となった。
「ヨーロッパと日本では庭というか、植物との向き合い方が違う気がします。左右対称に全部が刈り込まれているパルテール様式の庭園などは、もちろんそれはそれで美しいですが、自然に対して力で征服して形にしていく感じがします。それに対して日本庭園は、もっと自然を生かす感じ。自然にしかできないことを尊重して、それを引き伸ばすというか、自然そのものを生かしつつ、そこに少し人間ならではの感覚をつけ足していくのが日本庭園における庭師の仕事だと思っています。経年変化とか古いものに価値を置くところも、日本庭園ならではの魅力です」。
26歳で日本国籍を取得。村雨辰剛という名前は、苗字は先代の親方からの提案、「辰」は自身が辰年だったこと、「剛」は親方の名前から一文字もらったという。
「日本が好きで、日本国籍を取得してずっと日本に住めたらいいなという思いは持っていましたが、日本の社会に参加して貢献しないうちは安易には言い出せることではありませんでした。叶ったのは、16の時から日本と向き合い続けてきた結果だったのかもしれません」。
庭師としての活動の傍ら、俳優業にも取り組んでいる。きっかけとなったNHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」では、英会話を通じてヒロインと心を通わせる重要な役を演じ、視聴者からの評判で出演シーンが増えたという。
「色々なことに挑戦するのが好きなのと、分野は違いますが庭師も俳優も職人的な部分があるので取り組ませていただいています。あちこちに活動を広げるより庭師の道を極めた方がいいのかと迷った時期もありますが、メディアに出ることで僕を知り、庭師としての仕事や日本庭園に興味を持ってくださる方がいるなら、こういうスタイルもありかなと考えるようになりました。メディアでの仕事がご縁で造らせていただけた庭もあり、仕事の広がりを感じています」。
村雨辰剛さんの“相棒”である家紋が入った植木鋏。今回着用したメガネはブリオ コレクション XL11100 WG。上質さが際立つゴールド色のメタルにすっきり小ぶりなフォルムが品よくマッチ。
- 手に馴染み職人の技を生む植木鋏
庭師としての村雨さんにとっての大切な「相棒」が植木鋏だ。
「師匠のもとで修行を始めても、1~2年は持たせてもらえなかったです。それだけに初めて自分の植木鋏を手にした時は嬉しかったですね。使っていくうちに手に馴染み思い通りになっていきますが、刃こぼれもするのでメンテナンスしたり買い替えたりも必要です」。
繊細な作業には昔ながらの木鋏、太い枝は剪定鋏を使い分ける。
「剪定鋏は19世紀終わり頃に、それまでは力を入れて切っていた太い枝を切るために、ヨーロッパの製品をモデルに開発されたと言われています。それをスウェーデンから来た僕が使っているのは不思議な感じですね。固定観念に囚われず新しいものも取り入れてきた先輩たちの柔軟な姿勢は見習っていきたいです」。

手に馴染む植木鋏を相棒に庭仕事に取り組む村雨さんだが、実は自分に合うメガネにはこれまで出会えなかったという。
「視力は良くないのですが、顔が小さいからか彫りが深いからか、スウェーデンにいた頃から何をかけてもピンとこなくてコンタクトレンズを使い、18歳でレーシック手術を受けました。ただこの数年、また少しずつ視力が落ちてきた気がしていたのです。今回、アドバイスをいただいて顔とのバランスを考慮したデザインのメガネをかけてみて、初めて自分にフィットするものに出会えた気がしますね。瞳がブルーで色素が薄いので、バイクに乗る時などはサングラスも欲しいと思っていたんです。これを機会にラインアート シャルマンのサングラスもかけてみたいと思いました」。


シャルマンの本社もあるメガネの一大産地福井県の鯖江市には以前、テレビの仕事で訪問したことがあると語る。
「メガネ産業がものすごく集まっているエリアだということは知っていました。ヨーロッパにはポーセリン磁器を作っている街ですよとかスイスの時計産業とか、熟練の職人が集まっているエリアがあり、共通するものを感じます。そして福井県はメガネと並んで熟練の刃物の職人さんがいることでも有名ですね。僕の刈り込み用の鋏は福井のものなんですよ」。
日本という人生の第二の舞台で、これからどのようなビジョンを抱いているのだろうか。
「僕が日本に来た頃には公園も庭付きの住宅も、もっとたくさんあった気がします。特に日本庭園は残念ですが年々減ってしまっています。庭師として庭づくりに関わっていきたいのはもちろんですが、日本庭園の素晴らしさを多くの方に知ってもらうための活動もしていきたいですね。日本文化が全般的に好きなので、庭師や俳優の仕事以外にも色々な伝統文化や職人さんと出会い、学んでいきたいと思っています」。

- 鯖江のメガネに感じる職人の魂

村雨辰剛さんにとって植木鋏とは

村雨辰剛さんにとっての植木鋏がその手に馴染み美しい日本庭園をつくり出す “相棒”であるように、ラインアート シャルマンはこれからも、世界中の人に寄り添い、その人生を輝かせるパートナーを目指していく。

Photos:Yoshihito Sasaguchi(SIGNO)
Hair&Make-up: Kentaro Miyama
Kimono Dressing:Hidetoshi Kanomata
Realization:Tomoko Shimizui
撮影協力:銀座もとじ 東京マリオットホテル
INFORMATION


PROFILE
1988年スウェーデン生まれ。幼い頃から語学が得意で特に日本に興味を持ち、日本語を勉強。19歳で日本へ移住、語学講師として働く。23歳で造園業の世界へ。26歳で日本国籍を取得し村雨辰剛に改名、タレントとしても活動。2018年、NHKの「みんなで筋肉体操」に出演し話題を呼ぶ。朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」や大河ドラマ「どうする家康」、ドラマ10「大奥 Season2 医療編」など、俳優としても活躍。著書に『僕は庭師になった』、『村雨辰剛と申します。』。NHK Eテレ「趣味の園芸」ではナビゲーターとしてレギュラー出演中。
村雨 辰剛
Tatsumasa Murasame
あわせて読む

ここちよく生きる。あなたが輝く。
人生。それは素晴らしい舞台。
時に絵のように、時に詩のように、
時に音楽のように。
豊かな彩りをもたらすのは
より心地よい日々。
15周年を迎えたラインアート シャルマンは、
これからも
いつまでもかけていたくなる心地よさと
一人ひとりを彩る美しさで
あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。

いつまでもかけていたくなる心地よさと、一人ひとりを彩る美しさで
あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。
ラインアート シャルマン 15 周年。