


「いつも誰かと
前に進み続ける力をくれた」
Vol.12
元サッカー女子日本代表
澤 穂希 さん
「サッカーボール」
ここちよく生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年 特別インタビュー企画

かがやきに充ちている人の傍らには、きっと最高の相棒が存在します。
素晴らしい相棒と一体になった時、人はどこまでも輝ける。
ラインアート シャルマンも、人に寄り添い、その人をより輝かせる“相棒”でありたい。
さまざまな分野で活躍するプロフェッショナル15人のお話から
“相棒”との一体感がもたらす、かがやきの秘密を紐解きます。
かがやきに充ちている人、そのひとのそばには、きっと最高のバディ達がいます。最適な相棒と一体になった時、ひとはどこまでも輝ける。ラインアートの想いも、そこにあります。人によりそい、輝きを増したい。
様々な分野で活躍するプロフェッショナル15 人にお話を伺いながら、一体感がもたらす奇跡と、かがやきの秘密を紐解いていきます。
ここちよさと生きる。あなたが輝く。
ラインアート シャルマン 15 周年
特別インタビュー企画

Vol.12
元サッカー女子日本代表
「サッカーボール」
澤 穂希 さん
- 女の子だってサッカーがやりたい
澤穂希さんがサッカーを始めたのは6歳の時。
「父の転勤先の大阪で一つ上の兄のサッカーの練習について行って、コーチに“蹴ってみないか”と誘っていただいたのがきっかけです。蹴ったボールがたまたまゴールに入ったことが嬉しくて、サッカーをやりたい!と思うようになりました。当時はスイミングにも通っていましたが、自分の性格的にみんなで何かをするというのが好きだったんですね。目標を立てて協力して勝ち取るっていうのが自分なりに楽しかった。団体スポーツが合っていたのだと思います」。
小学校2年生のときに東京に戻り、地元府中のサッカークラブへ。少年チームに特例としての入団だった。
「当時はまだ女子チームがほとんどなく、府ロクサッカークラブでも母が“前例がないならうちの娘で新しい歴史を作ってください”と交渉して受け入れられたのだそうです。合宿に行っても男の子とは違う部屋なのは何でだろうとか、全国大会でも“少年”サッカー大会なので女の子は出場できなかったり。それでも最終的にはサッカーがすごく好きだから、続けられました」。
中学生で読売サッカークラブ女子・ベレーザに入団。1993年に15歳で日本女子代表になる。
「日本代表の先輩が数多くいらっしゃるクラブチームで刺激を受けて、世界を目標にすることができました」。
その視野は、大学を中退しアメリカのサッカーチームに移籍したことでさらに広がった。
「当時のアメリカ女子のサッカーは、ワールドカップやオリンピックで結果も残してレベルも高かったですし、何より女の子がサッカーをやっているのも当たり前の環境だったんですね。ちょっと公園に行っても女の子達がサッカーしているし、その頃の日本では考えられない環境でした。ですから日本代表になって帰国した時には、自分が経験したことをチームのみんなに伝えたいという思いはすごくありました」。
- なでしこジャパンの快進撃の中で
2004年のアテネオリンピック出場を機に、サッカー日本女子代表は“なでしこジャパン” として躍進をはじめる。ちなみに愛称発表の記者会見のために“なでしこジャパン”と毛筆で記したのは澤さんだ。
2008年の北京オリンピックで4位という結果を残し、2010年アジア大会で優勝、そしてキャプテンとして出場した2011年FIFA女子ワールドカップでの日本サッカー史上初のW杯優勝は、東日本大震災で悲しみに包まれていた日本に大きな感動をもたらした。
「そこから本当にびっくりするぐらい、自分たちだけの力じゃない何かに押し上げられるようになりました。ワールドカップに出発する時は空港の報道陣は本当に数えられるくらいだったし、準決勝、決勝と勝ち進んでも、当時まだSNSもそんなに普及していなかったので日本がすごいことになっていると聞いても実感がなくて。帰国して空港に本当にたくさんの方々が出迎えに来てくださっていて驚きましたね。でも、そうなることでサッカーに憧れる人、ひいては女子サッカー人口がだんだん増えていったのは嬉しかったです。ワールドカップ優勝直後のロンドンオリンピックからはメダルへの期待も高くなりハードルも上がりましたが、あの時はメンタルが強いメンバーが揃っていたので、逆に注目されればされるほどプレッシャーを感じることなく結果を出せたのかもしれません」。
6度のワールドカップ出場と4度のオリンピック出場は、男女ともに世界最多。ギネスにも記録され、未だ破られていない。
「誰でもそうだと思うのですが、日本代表の選手って指定席があるわけではないから、常に全力で戦わないと残れない。自分のポジションにもっと良い選手がいれば、私の替わりにそこに入るかもしれない。そういう危機感を持ちながら、自分のやるべきことをしっかりやっていく日々でした」。
澤穂希さんの“相棒”であるサッカーボール。「昔は黒い五角形と白い六角形のデザインがメインでしたが、今は色々なデザインのものが使われています。派手な色には雪の中の試合などでもボールの視認性を高める目的もあります」。今回着用したメガネはソロ コレクション XL11306 BK。細みのシルエットとソフトなブロウラインが知的な雰囲気を醸し出す。
- 現役を離れても感じるサッカーを支える人々への感謝
2015年、シーズン限りでの引退を表明した。
「アスリートって誰でも引退の時期が来るんです。それは自分で決めること。引退した次の年もリオのオリンピックがありましたから、多分頑張れば行けたのかもしれないけれど、やっぱり自分のモチベーションだったり目標だったり、体と相談した時に、心と体が一致したトップレベルのプレーはできないな、と。やり切った、納得のいった形で気持ちよく引退したいなと思ったので、本当にスパッと行けました」。
選手生活を終えた後は同年に結婚したご主人の暮らす仙台へ拠点を移し2017年には女児に恵まれた。現在は仙台で子育てを行いつつ、サッカーをはじめとするスポーツの普及にも取り組んでいる。
「不思議なもので今はサッカーをやりたいとかボールを蹴りたいという気持ちは全然ありません。それでも、あなたの相棒は?と聞かれたらサッカーボールなのかな。サッカーってボールさえあれば、どんな場所でも誰とでも繋がれるスポーツなんです。それにボールって、本当に一つ一つ全然違うんです。蹴ったときの感触で、今日のこのボールはいいぞとか、このボールとは相性がいいぞというのはありました。ボールにしてもシューズにしてもどんどん進化していて、技術を開発している人たちや職人さんがサッカー業界を支えてくださっているのだと感謝しています」。
サッカーボールが足に触れた時の感触同様に、メガネのかけ心地にもこだわりが。
「視力が悪いのでサッカーの試合の時や、今でも日中はコンタクトですが、目が疲れるので夜はすぐメガネに切り替えます。でも外国人みたいに鼻が高いわけではないので、下を向いたりするとすぐにずれてしまうのですよね」。


- ずれないメガネならサッカーもできる?
今回の撮影で澤穂希さんがセレクトしたのは、メンズライクなウェリントン型のコンビネーションフレームのメガネ。
「軽くて、ちゃんとフィットするのがすごく良いですね。サッカーではメガネをかけてプレーされていたのは岡田監督しか記憶にありませんが、このメガネなら動いてもずれないから、メガネで出場もいけるかもしれません(笑)。私はサングラスもかけるので、メガネとサングラスと両方欲しくなりました。実は夫も私がメガネをかけているのがすごく好きみたいなんですよ」。
家族との時間も大切にしながら、今後やっていきたい活動は?
「もともと家にずっといるタイプでもないですし、娘が大きくなったら、もっと積極的にサッカーに関わってきたいという思いはありますね。自分は感覚派なので指導者はタイプではないので向いてる人にやってもらって、その周りでどんなサポートができるか考えています」。
サッカー、スポーツ普及のために活動する中で、2023年に「スポーツ栄養プランナー」「子育て心理アドバイザー」「食生活アドバイザー3級」の資格を取得。子どもたちと向き合う準備も進んでいる。
「子どもたちには、常に夢や目標を持ってほしいと思います。もしかすると自分の思った結果が出ないこともあるかもしれません。それでもやらないで後悔するよりもやって後悔した方がいいし、うまくいかなかったところから、また違う扉が開くこともあるので。まずは一歩踏み出す勇気を持って、色々な事にチャレンジしてほしいですね」。

澤穂希さんにとってサッカーボールとは

澤穂希さんにとってのサッカーボールが人と人、国と国を結び、繋げる“相棒”であるように、ラインアート シャルマンはこれからも、世界中の人に寄り添い、その人生を輝かせるパートナーを目指していく。

Photos:Yoshihito Sasaguchi(SIGNO)
Hair&Make-up: Arisa Suzuki(uka)
Styling:Shiho Sakashita
Realization:Tomoko Shimizui
INFORMATION


PROFILE
1978年9月6日生まれ。東京都府中市出身。
15歳で日本代表入り。2011年、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会ではキャプテンとしてなでしこジャパンの優勝に貢献し、大会MVPと得点王に輝く。帰国後、なでしこジャパンは「国民栄誉賞」を受賞。同年度、FIFAバロンドール授賞式にて「女子年間最優秀選手」を受賞。2012年、4回目の出場となったロンドン・オリンピックでは銀メダルを獲得。2014年、アジアサッカー連盟殿堂入り。2015年FIFA女子ワールドカップ・カナダ大会ではチームの準優勝に貢献した。2015年8月に結婚し、同年12月に現役引退。日本代表では、通算205試合に出場し、83得点。日本女子代表史上、出場数・ゴール数歴代1位を獲得。ワールドカップ6大会連続出場は、世界記録。現在は、一児の母として子育てしながら、スポーツの普及のため様々な活動を行っている。
澤 穂希
Homare Sawa
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あなたの毎日を満たし、さらに輝かせます。

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ラインアート シャルマン 15 周年。




















